和平之旅--出席諾貝爾和平獎頒獎禮(下)暨悼念六四血腥鎮壓37週年
潘嘉偉
2026年6月3日


相隔了16年才寫了這篇後記,當時劉曉波還在生,大家參加諾貝爾和平頒獎典禮,看著那張空椅子,成了劉曉波的標記,一個被獨裁政權粗暴關押至死的諾貝爾獎得主。後來劉曉波不幸被中共害死在獄中,我當時在國際特赦組織工作,也在ForeignPolicy雜誌的網站發表了關於劉霞逃出中國到了德國的評論文章。後來因為一直有很多生活雜事和移居英國、比利時和日本,寫了多年的博士論文還沒完成,換了好幾個工作,然後生病慢慢恢復,在紀念六四的日子快要再來的時候,再次憶起當年的往事,覺得應該要紀錄下來,生活的各種改變,但絕不能把這一段記憶拋於腦後,過去每年在維園的六四燭光早已成了生活的一部份。
出席完諾貝爾和平獎後,在香港繼續做關注中國人權的工作,每年繼續參與維園的燭光晚會,從來沒有想過維園燭光會強行停止,暴政強行剝奪我們參與燭光晚會的集會自由,主辦機構支聯會被無理打壓,支聯會主席李卓人、副主席鄒幸彤大律師和何俊仁律師被囚禁,政府口口聲聲指控他們「煽動」,像中國大陸製造的文字獄一樣,集會要求平反六四和結束一黨專政,煽動了誰?我們每年自發到維園參與集會,自發高喊「結束一黨專政」、「六四屠城可恥」,我們怎麼需要被「煽動」?我們是發自內心要求結束一黨專政,痛罵中國政府六四屠城可恥。現在沒辦法在香港再喊這些口號,我們在海外繼續理直氣壯的高喊「結束一黨專政」。
一個政權動不動說人民「煽動」,那是多麼不知廉恥。即使是自以為很富強,亦難掩暴政的瘋狂與橫蠻。有些人或者會說,繼續喊口號沒用,我才不會理會甚麼所謂的有沒有用,我有言論自由,我就繼續喊口號,繼續發聲揭露中共政權的醜惡。不論獨裁政權想怎樣扭曲歷史、企圖抹去歷史,只有有文字,有人在紀錄,有人在書寫,暴政絕對不能得逞。今天,我們在東京早稻田這裡,繼續悼念六四,繼續高喊結束一黨專政、平反六四,中共打壓言論集會自由,企圖抹去血腥屠城的歷史可恥!我們不單在日本,也和全球各地的香港和華人,繼續痛罵中共侵犯人權的惡行。我們不需要被煽動,也不需要煽動。
Journey of Peace – Attending the Nobel Peace Prize Ceremony and Commemorating the 37th Anniversary of Tiananmen Bloodshed Crackdown
Patrick Poon
I’m writing this record 16 years after attending the Nobel Peace Prize ceremony that Dr. Liu Xiaobo was still alive and the organizers arranged an empty seat to honour him, which became his symbol – who was persecuted by the Chinese Communist Party until he died in custody. I later worked for Amnesty International. I wrote a commentary on Foreign Policy’s website about Liu Xiaobo’s wife Liu Xia fleeing from China to Germany. Later, due to all the daily hassles and moving to the United Kingdom, Belgium and Japan, I could not finish my PhD thesis that I have been writing for many years. I changed several jobs. Then, I was seriously ill and have been slowly recovering. As the commemoration of June 4 was approaching, I recalled a lot of memories. I felt that I should record this. Despite all the changes in life, I should not forget about all these. All the memories of the June 4 candlelight vigils at Victoria Park have become part of my life.
After attending the Nobel Peace Prize ceremony, I returned to Hong Kong to continue my work on human rights in China. I continued to take part in the annual candlelight vigil at Victoria Park. I could have never imagined that the candlelight vigil would be forcibly terminated by the regime. The tyranny violently snatched our freedom of assembly to take part in the candlelight vigil. The organizers, Hong Kong Alliance in Support of Patriotic Democratic Movements of China, were unreasonably cracked down by the government. Lee Cheuk-yan, the Alliance’s chairperson, barrister Chow Hang-tung and solicitor Albert Ho Chun-yan, the Alliance’s vice chairpersons, were detained. The government claimed that they “incited” the public. Like the imprisonment of the people based on their words in mainland China, how could the demand for vindication of June 4 crackdown and that for ending the one-party rule be considered inciting others? Who was incited? We voluntarily went to Victoria Park to take part in the assembly and voluntarily chanted the slogans of “ending the one-party totalitarian rule” and “shame on the June 4 bloodshed crackdown”. How would we need to be “incited”? We heartfeltly called for ending the one-party authoritarian rule. We strongly rebuked the Chinese government’s shameless bloodshed on June 4, 1989. We can no longer chant these slogans in Hong Kong. We continue to adamantly chant the slogan of “ending one-party rule”.
How shameless it is for a regime to always groundlessly accuse citizens of “incitement”. No matter how self-sufficient the regime is to believe that it is wealthy and powerful, it cannot conceal the madness and ruthlessness of tyranny. Some people might say that it is useless to continue to chant slogans. I don’t really care if that is useful or not. I have freedom of expression. I could continue to chant the slogan and expose the evil deeds of the Communist regime. No matter how the tyranny wants to distort history and attempts to erase history. As long as we have words, we can record history. We can write. We should not let tyranny feel in formidable. Today, we come together here in Waseda, Tokyo, to continue commemorating June 4. We continue to unshakably chant the slogan to end one-party rule and demand vindication of the June 4 crackdown. It’s shameless for the Chinese government to crack down on freedom of expression and freedom of assembly and attempt to wipe out the history of the bloodshed crackdown. Not only in Japan, Hong Kongers and Chinese in every part of the world would continue to rebuke the evil deeds of the Communist Chinese regime. We don’t need to be incited and we don’t incite others.
平和の旅――ノーベル平和賞授賞式への出席(下)天安門事件37周年の追悼記念
潘嘉偉
16年もの時を経て、ようやくこのあとがきを執筆することになった。当時、劉暁波はまだ生きており、皆がノーベル平和賞授賞式に出席し、あの空席を見つめた。それは劉暁波の象徴となり、独裁政権によって残酷に投獄され、死に至らしめられたノーベル賞受賞者となった。その後、劉暁波は不幸にも中国共産党によって獄中で殺害された。当時、私はアムネスティ・インターナショナルで働いており、Foreign Policy誌のウェブサイトに、劉霞が中国から脱出しドイツへ渡ったことに関する論評記事を寄稿した。その後、生活上の雑事やイギリス、ベルギー、日本への移住が続き、長年執筆していた博士論文も未完成のまま、職を何度か変え、病気から徐々に回復していった。六四天安門事件の記念日が再び近づいてきた今、当時の出来事を改めて思い出し、これを記録すべきだと感じた。生活は様々な変化を遂げたが、この記憶を決して忘れてはならない。かつて毎年ヴィクトリア公園で行われていた六四天安門事件のキャンドルライトは、すでに生活の一部となっている。
ノーベル平和賞の授賞式に出席した後、香港で引き続き中国の人権問題に取り組んできた。毎年、ヴィクトリア公園でのキャンドルナイトに参加し続けてきたが、ヴィクトリア公園のキャンドルナイトが強制的に中止されるとは夢にも思わなかった。暴政は、キャンドルナイトに参加する私たちの集会の自由を強引に奪った。主催団体である香港市民支援愛國民主運動聯合會(支聯会)は不当な弾圧を受け、同連盟の李卓人会長、鄒幸彤副会長(弁護士)、何俊仁副会長(弁護士)が投獄された。政府は彼らを「扇動」したとして口々に非難しているが、まるで中国本土で仕組まれた文字獄のようだ。六四天安門事件の再評価と一党独裁の終結を求める集会が、一体誰を扇動したというのか?私たちは毎年自発的にヴィクトリア公園に集まり、「一党独裁の終結」「六四虐殺は恥だ」と叫んできた。一体、なぜ私たちが「扇動」される必要があるというのか?私たちは心から一党独裁の終結を求め、中国政府による六四虐殺を恥知らずだと痛烈に非難している。今は香港でこれらのスローガンを叫ぶことはできないが、私たちは海外で引き続き、胸を張って「一党独裁の終結」と叫び続ける。
ある政権が、些細なことで国民を「扇動」だと非難するとは、なんと恥知らずなことか。たとえ自国を豊かで強大だと自負していても、暴政の狂気と横暴を隠し通すことはできない。中には「スローガンを叫び続けても無駄だ」と言う人もいるかもしれないが、私は「無駄かどうか」など気にしない。私には言論の自由があるのだから、これからもスローガンを叫び続け、声を上げ続け、中国共産党政権の醜悪さを暴き続けるつもりだ。独裁政権がいかに歴史を歪め、消し去ろうとも、文字があり、記録者がいて、書く人がいる限り、暴政は決して成功することはない。今日、私たちは東京の早稲田奉仕園で、六四天安門事件を悼み続け、一党独裁の終結と六四天安門事件の再評価を叫び続ける。中国共産党による言論・集会の自由への弾圧、そして血塗られた虐殺の歴史を消し去ろうとする企ては、恥ずべきことだ!私たちは日本だけでなく、世界中の香港人や華人と共に、中国共産党の人権侵害という悪行を糾弾し続ける。私たちは扇動される必要もなければ、自ら扇動する必要もない。
關聯文章①:《我和我的8964》和訳
1989年の春、私はまた小学6年生でした。当時、多くの人が子供の将来を左右すると考えている学力適性検査に追われており、さらに洗礼を受けたばかりでもあった。12歳の子供にとって、それ以上の情報を受け止める余裕などがありませんでした。
1989年5月、小学6年生の重要な試験が迫り、本当に緊張していた。復習の休憩する時に、両親がテレビのニュースを見ていて、「北京の大学生たちは緊張しすぎている」、「ハンガーストライキは体に悪い」、「ハンガーストライキってどんな感じなんだろう?」などと話しているのが聞こえた。当時12歳だった私には、到底理解も実感もできなかった。
5月末頃、両親や先生より、北京ではますます多くの大学生が天安門広場に集まって集会に参加していると聞いた。文化大革命の時代に中国本土へ旅行したことがある両親は、「以前は中国の人々は政府を批判する一言さえ口にするのを恐れていたのに、今やこれほど多くの人々が外に出てきているとは、本当に想像もしていなかった」と言っていた。当時に、テレビ画面で大学生たちがかすれた声で群衆に語りかける姿を見て、彼らは本当に大変だと思いました。
数日後、6月4日の朝、目を覚ますと、突然テレビの音が聞こえてきた。家族全員が「もうおしまいだ」「発砲された」「戦車まで出ている」「広場の学生たちはどうなったのか」と大声で叫んでいた。驚き、恐怖、そして途方に暮れる――これは本当のことなのか?
カナダに嫁いだ叔母から電話がかかってきた。彼女は六四天安門事件のニュースを見ていた。母が電話を切った後、叔母は何も言わなかったけれど、どうやら家族が移民を考えたことがあるような気がした。私は母に「香港は独立できるの?」と尋ねた。本当に怖かった。母は「香港はあんなに小さいから独立なんてできないわ。怖がらないで。昔、文化大革命を耐え抜いて香港に逃げてきた人はたくさんいるんだから、私たちだって乗り切れるはずよ。怖がらないで」と言った。
六四天安門事件の後、学校に戻って授業を受けたが、とても恐ろしい気分だった。先生は黒いリボンや、黒い背景に白文字で「六四を忘れるな」といったスローガンが書かれたステッカーを配った。担任の先生は、私たち小学生のクラスが理解できていない様子を見て、「君たちは確かに時代遅れで、中国の歴史を理解していない」と言われた。
あの黒いステッカーを持って家に帰り、ベッドの頭板に貼り付け、そのスローガンを小声で読みながら、母の言葉を思い出し、思わず疑ってしまった。本当に怖がらなくていいのだろうか?
父は時々、私や兄に時事政治の話題を話してくれたが、母は普段あまり話したがらなかった。しかし、1989年の百万人デモには、私たち家族で一緒に参加した。記憶が正しければ、私たちは香港體育館の外でデモの開始を待ち、他の人たちと一緒に歌を歌い、スローガンを叫んだ。あれが私にとって初めてのデモ参加だった。
その後何年にもわたる六四天安門事件追悼集会は、たまにしか参加しなかった。かつての「誰々を打倒せよ」といったスローガンから、六四を追悼するものへと変わり、感慨深かった。大学時代や、社会に出て記者になったばかりの頃は、六四天安門事件を客観的に見るべきだと自覚しており、あまり深い感情を抱くことはできなかった。
5年前に、あるきっかけで人権活動に携わるようになり、次第に中国の様々な人権問題に触れる中で、再び六四天安門事件の資料を真剣に読み返すようになった。また、仕事を通じて当時六四天安門事件に参加したり目撃したりした人々と接する中で、思わずこう問いたくなった。六四天安門事件からすでに20年が経った今、一体いつになったら、ある人々が言うところの「適切な時期」が来て、六四天安門事件の再評価が行われるのだろうか?まさか、当初六四天安門事件に参加した人々が皆白髪交じりになるまで待たなければ、いわゆる「歴史に決着をつける」ことはできないというのか?誰が決めるのか?それは人民ではないのか?嘲笑する人もいるかもしれないが、僕は人民が決めることを望んでいる。
關聯文章②:《和平之旅--出席諾貝爾和平獎頒獎禮(上)》
